こだわりというか、批判的というか

だいたい物事を斜に見ている、とよく感じる。
どうしてかわいく「うん、そうだよね。わかるー」とか
言えないんだろう。
どうして新しい物事をそのまま受け入れずに
一旦突き放してしまうんだろう。
 
もうこれは、24年の人生の中で培われてしまったから
後戻りはできないんじゃないだろうか。
そう思いつつも、その姿勢をを変えた方がいいのかどうか、
改めて考えてみた。
 
確かに、何を言っても素直に受け入れてくれる人は
付き合いやすいし、仲良くなりたいと思う。
私もそういう人は器が広くていい人だなあ、と感じる。
でもなんというか、ちゃんと聞いてるのかなあ、とも思う。
 
何を言っても批判する人は
付き合いにくい。めんどくさい。話したくなくなる。
 
うん、もう少し素直に受け入れるようにしよう。即決。
 
でも、突き放す意味も考えてみる。
突き放すというのは、客観視の手段だろう。
「自分の価値観」をまず捉えられていて
その価値観に合わないものを拒絶し、距離をとるということ。
距離をとって冷静にその物事を観察すると
その本質とか、他とのかかわり方とかが見えてくる。
そうしてそれをちゃんと理解できるようになる。
自分の価値体系の中で、正しい座標に配置することができる。
 
結局、やっちゃいけないのは
1.突き放しっぱなしで、その価値を放置
2.なんとなく、で考えなしに肯定し受け入れる
 
考えながらじゃないと、生きていけないなあ。
考えないで生きていくと、いいことないなあ。
  
めんどくさい内容になったので、以下は読書記録。

王国〈その1〉アンドロメダ・ハイツ (新潮文庫)

王国〈その1〉アンドロメダ・ハイツ (新潮文庫)

王国〈その2〉痛み、失われたものの影、そして魔法 (新潮文庫)

王国〈その2〉痛み、失われたものの影、そして魔法 (新潮文庫)

王国〈その3〉ひみつの花園 (新潮文庫)

王国〈その3〉ひみつの花園 (新潮文庫)

3まで。
よしもとばななの作品は、人知を超えた部分と
その境界部分に焦点をあてたものが多いように感じる。
それが人らしさ、ってことに結論付けられている。
合理的とか、論理とか、人の浅知恵はよくないもの、
自然や超能力がいいもの、って分類のような。
この作品についてはいい悪いの判断はせず、静かに読み続けます。
 
高校生のための東大授業ライブ 純情編

高校生のための東大授業ライブ 純情編

あー、面白い。
大学院に進む気力が湧いてきました。
その前に、理転だから学士からか。。。